|
11日の震災から、流されるような感じで3日が経過してます。
地震があったのが11日の午後3時前。 電車の運行再開を当然のごとく信じて歩けるところまで歩こうということで、午後4時半に会社を出て…常磐線沿いに歩く。普段のダイエットを兼ねたウォーキングで断片的に浅草〜利根町間は踏破していたので道に迷うことはなかったが、普段人がそんなに歩くことがないような国道沿いをぞろぞろと民族大移動してるような光景の一員となる。
10キロほど歩いた地点で午後6時半頃に「終日運休」をみんなからのメールで知る。会社に戻ることも考えたが、やはり自宅の両親が気になるから迷うことなく少しでも自宅に近づくことを心の中で決める。
体力はあったんだけど急激に温度が低下した上に風が強く、携帯でホテルの検索をしながら歩くも、どこも満室で歩いていける範囲にホテルがない。午後8時半頃、なんとか滑り込んだ亀有駅前のネカフェで一夜を過ごすことを決定。
残り3席しかなくて、まさに滑り込みセーフだった。しかしリクライニングもない椅子で、鼻づまりの薬を持ち合わせていなかったので、まったく寝れない。ついでに余震が頻繁に襲いさらに寝れたものではなく。。
「翌朝午前7時に常磐線運転再開予定」という情報を深夜に入手したので、午前5時半にネカフェを出て、松戸駅まで歩く。午前7時前に駅に到着し、ホームで電車の到着を待つも8時半になっても入線せず「復旧の見込み立たず」と白紙撤回のアナウンスが。
歩けるところまで歩かねば今度こそ帰れないので、線路沿いを柏方面に目指す。途中駅で情報収集したり、皆さんからのメールを頼りにして新松戸まで移動。ここで部分的に運転再開した常磐線を待つことに。
親とも連絡が取れて車で我孫子駅に迎えに来てもらった。迎えを待つ間駅前のイトーヨーカドーで買い出し。まだまだ危機感もそれほどなく、なんでも買える状態だった。 水も7リットルほど買ってきた。
結局家についたのは午後0時半過ぎ。帰宅に20時間もかかった。 帰宅したら断水・ガスも止まっていたが、電気は復旧してた。 たとえ不便であっても自宅、帰る場所があることの幸せを感じた。 実は部屋も地震であらゆるものが散らばって大変だったんだが、親が掃除してくれていたらしい。食器は何枚か割れてしまっていたようだ。
断水のため、旧布川小学校の校庭に給水に。 ポンプ車の前の行列に並び、水を入れる袋をもらい、水をもらう。 水道の復旧はこの時点で目途が立たず、本当に不安な気持ちになった。
しかし幸いなことに翌朝、水とガスが復活! 水が出た瞬間の気持ち、当たり前に存在することへのありがたさって普段から大事にしているつもりだったけど、本当に痛感した。
おととい、昨日と疲れているはずなのに、余震のたびに起こされる。 揺れてないのに揺れてるような錯覚に陥ったりする。 この感覚はおそらく、ここよりも茨城県北、さらに北部地域では深刻なはず。
地震や輪番停電の影響で、最寄駅を走る成田線はアウト。 都内に出る生命線ともいえる常磐線は、我が家からはるか手前の松戸駅までで運行停止。
ひとまず自宅でもある程度の仕事をこなせるようにと、会社に置いてあったパソコンの回収と、仕事のデータの吸い上げを目的に無理やり出社することにする。 車で25分程度の場所にあるつくばエクスプレスの守谷駅から通勤。この電車に乗れば浅草までは乗り換えなしで行けるのだが、往復で交通費が1400円もかかる。 おまけに、茨城県内はガソリンの供給が壊滅的で、毎日往復50分も車で送り迎えしてもらってたら両親が生活の上で必要になった時にガソリンがなくなってしまう。 こんな状況で毎日通勤するわけにいかず。
社長に電話をして、交通手段が安定するまで原則自宅待機を了承してもらいました。
今日は輪番停電に伴うつくばエクスプレスの運行状況に伴い、昼過ぎに帰宅してきました。 その前に都内浅草のスーパーにも立ち寄ってきたんだけど、ライフラインが安定してて輪番停電の影響がないはずの都内のお店でも食料や水はのきなみ品切れ。レジには長蛇の列。 びっくりしました。そして、茨城に戻ってくると、もうすでに買うものすらなく。。
車で守谷駅から自宅に戻る間には、たまに空いているガソリンスタンドには、それこそ1キロにも及ぶのではというような給油渋滞が発生してました。 営業してるスタンドは4件に1件くらいの感じでしょうか。 こんな状態が数日でも続けば、それこそ移動手段として車は機能しなくなるかもしれません。
数日でも、とは書いたけど、いまだあらゆる事象において、出口が見えない状況が続いています。 この数日間だけでも、ほんとにたくさんの人からの情報提供や励ましで大きな力をいただきました。ほんとに、ほんとにありがとうございました。 今後も、みんなそれぞれができる形で、この状況を乗り切っていきましょう。
インターネットやメールがある最大のメリット、それは、繋がる手段があるということ。 文字だけではなく、気持ちでみんなと繋がっていたい。
微々たるものかもしれませんが、僕にできることがあるのなら、やっていきたいとも思います。 積極的な情報交換や意思疎通を図れたらと思います。
いまだ情報伝達手段はおろか、ライフラインすら確保できていない人たちがたくさん存在します。 皆さんの無事を祈らずにいられません。 そして不幸にも、多くの方が、、、お亡くなりになられた方に、心からご冥福を申し上げます。。
誰が悪いとか、もうそういう次元ではないです。 みんな、ありがとう。 頑張ろうニッポン。その気持ちで。
p.s. 返事ができずじまいでしたが・・・ 先日、元思い出常連の方から8年ぶりにメールをいただきました。真緒さん、憶えてますか? そして、おととい、パラサさんからmixi経由で連絡をいただきました。 れいさんにもお誕生日祝いのメール送って、元気そうでした。 みんな、繋がってるよ。どこかで。
|
[返信]
[修正]
[削除] |